2013年08月02日

世界核保有国の福島包囲網

http://m-hyodo.com/fukushima-3/
世界核保有国の福島包囲網

+++++++++++

全文読んで頂きたいですが、 ポイントは
 福島では放射能のことは禁句になっている
 国は福島の子供を見捨てた つまり未来を見捨てた
 日本の格差は広がっており貧困率が実は高い

危機的状態になると、人はそれを見て見ぬ振りをするもの
太平洋戦争中も国民総マインドコントロールで、現状を見ようとしなかった
「神国日本」は負けるわけがない、という同調圧力
原爆2発落とされるまで、突っ走るような国である
どこまでも、同調圧力の強い国
平和時は良いが、こうなってくると、大変怖い国民性だ

正常性バイアスと多数派同調バイアス
 正常だと思いたがる心
 みんなに合わせていれば安心だと思う心
危機に面すると、この二つが圧を増してきて、人は思考停止し、楽観的になりたがる

身近なところで
母が癌で亡くなるとき、弱れば弱るほど「母が死ぬ」ということは兄弟内で禁句となった
逃れられない状況を受け入れると、毎日を大切にしよう、というスイッチが入るのか、闇をシェアし合うことをしなくなる
これは、本能的な自己防御スイッチなんだろうと思う
そして、明らかに末期症状である

僕は、今回の選挙のあとから、この症状が強まったと感じる

とにかく、現実を明らかにしたい
そこからしか、対策は生まれない
まだまだ、僕らにできることはあるんだ
この段階で白旗揚げるのは、あまりにも早過ぎる
もっともっと力を出していけるはずだ

もう、絵馬を書いていられる段階は終わったんだ
誰かの何かを頼っていられる段階は終わったんだ
引き寄せの法則なんて悠長なことを言ってられないんだ

どこまで具体的に未来を予測できるか、そして対処していけるか
具体的行動を重ねていこうと思う

+++++++++++++

「福島での健康相談は、結果的にはそれで良かったと思うんですが、つらい状況にいるお母さんたちの話をずっと聞き続けるということになりました。何がつらいかというと、福島では、放射能についての不安をいってはいけないということになっているんですね。
福島というのが、ものがいえないところになっていることに、非常にびっくりして。放射線について話題にすること自体が、もう禁じられているという状況なんですね。
それと、福島の学校給食に、ほとんど福島の食材だけが使われているということにも非常に驚きました。
6月の段階では、東京でさえ、多くの人が食べるものに気を遣って、東北の食材はできれば避けたいと思っている時期だったのに、現地では福島産のものを率先して食べていた。
しかも、お母さんたちがそれはおかしいんじゃないかというと、周りから責められるという状況があるんですね。
そういう話を聞いてから、福島の街の中を歩いてみると、「ああ そういうことなのか」と、戒厳令下にある福島というものを感じましたね。
福島の駅に行っても、新幹線だけでなくて、どのホームもほとんど人がいないんですよ。
新幹線にはたくさんの人が乗っているのに、誰も福島で乗降しない。もう、福島というところが、敬遠された地域になってしまっているんですね。
でも、街の中ではみんなまったく普通に歩いていて、東京では、6月は街中でマスクをしている人は多かったけど、福島ではマスクをしている人もいない。非常に無防備なんですよね。
それは結局、もう福島にいると決めたら、マスクなんかで防げるものはたいしたものではないんだし、放射能なんてどうってことはないと開き直っているということなのか。
あるいは、福島で放射能を怖がるということが風評被害を煽って、福島の評判が悪くなるから、「福島は大丈夫」と振る舞うことを強制されているのか。
そのどちらかだとは思いますが、それが一番印象的なことでした」

(中略)

野田を越える巨大な権力、つまり国際原子力ロビーと日本官僚が、原発の安全物語のために福島県民を見捨て、福島の子供たちを見捨てたのである。
子供はその国の未来であり、希望である。その子供を見捨てたのだから、この国は未来と希望を捨てたのである。
今後、官僚や政治家が何をいっても虚しい。
国旗に敬礼? 君が代を歌え? 君が代斉唱で起立しろ?
子供を棄民した者たちが何をいっても無駄だ。官僚や政治家たちの腹の底にとぐろを巻くものが、金であり、経済効率であり、グローバリズムであることを見透かされてしまった。
少なくとも福島の子供たちは、日々被曝しながら、「福島の子供たちなんてどうなったっていい。自分さえよけりゃ」という東京の権力者たちの声は聞いたのである。
しかしながら、国内のTPP参加賛成の官僚・政治家たちの思想はもっとあさましく、「日本なんてどうなったっていい。自分さえよけりゃ」という思想なのである。

(中略)

福島の子供棄民以前に、日本の子供棄民が進捗している。
昨年(2012年)5月末に、国際連合のユニセフの研究所が、先進諸国における子どもの貧困について、国際比較の結果を発表した。
日本の子どもの相対的貧困率は、OECD35か国中、9番目に高い貧困率を示した。先進諸国20か国の中では、日本は貧困率が高い方から4番目である。
相対的貧困率とは、具体的には、社会の標準的な所得の、そのまた半分、50%の所得以下しかない世帯をいう。金額で示すとわかりやすいが、1人世帯では年間の手取り所得が125万円、2人世帯では176万円くらいだ。
こう考えると、この基準は厳しすぎ、日本国内の、食べるのがやっと、子供の弁当もままならない、修学旅行の積み立てができない、塾や家庭教師など論外、といった家庭はもっと多く、悲惨な格差社会ができあがっていることがわかる。
子どもの貧困率が高い(最悪な)のは、アメリカ、スペイン、イタリアで、 4番目が日本というわけだ。
アイスランドや、フィンランド、オランダといった北欧諸国に比べると、日本の子どもの貧困率は約3倍の高さになる。
すべての先進諸国の、貧困の子どもたちの総数が3400万人で、 日本の子どもは305万人である。世界3位の経済大国でありながら、先進諸国の貧困の子どもの約10人にひとりが日本の子どもなのである。いかにひどい格差社会が進んでいるかがわかる。現在は、さらに深刻になり、日本の約6人にひとりの子どもが貧困状態にあるといわれる。
福島に話を戻すと、福島では絶望が支配的であり、それが逆に福島安全物語にすがり付く感情を育んでいる。この福島安全物語のために、健康診断は安全再確認のために行われるのであり、原発も、被害はないのだが、念のために止めていることになっている。


同じカテゴリー(原発)の記事
 原発問題に関して (2013-07-29 00:10)
 福島第一原子力発電所 3号機が不安定 (2013-07-26 23:19)

Posted by 加藤万晴 at 22:48│Comments(0)原発
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。